FreeBSD News Netatalk
In This Issue:

ISPの No.1 は FreeBSDさ!

Matthew Dillon

FreeBSD ってなに?

Jordan K. Hubbard

FreeBSDで動くCodaファイルシステム

M. Satyanarayanan

もう一つの FreeBSD 成功物語: 大変革を遂げたある ISP

Dan Benjamin

TCJA の web で子供たちと始めよう

Wilko Bulte

FreeBSD と PalmPilot

Oliver Fromme

いかにして FreeBSD は私のお気に入りになったか

Martin Cracauer

FreeBSD で動かすハイファイ・オーディオ

Oliver Fromme

Blender Released!

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もう一つの FreeBSD 成功物語: 大変革を遂げたある ISP
Dan Benjamin
ネットワークアナリスト、Intel UNIX システム構築者
訳: 花井 浩之 <hanai@jp.FreeBSD.ORG>
Daemon

ネットワークアナリストそしてインテルベースの UNIX システムの製造者として、 顧客に対して様々なオプションの提供を可能にすることは、 常に最も優先されることである。 私の顧客のほとんどは、サーバー、ワークステーション、 そしてネットワークの解析やシステムの設定及び管理といったサポートもしくはコンサルティング業務、 を必要としている会社である。私の取り引き先には湯水のごとく予算を使える会社はほとんどないのだが、 言い換えれば、限られた予算をどれだけ有効に使えるかということがこのビジネスのもっとも難しい側面の一つなのである。 多くの場合、顧客はハイエンドのサーバーを購入するためには莫大な費用をかける必要がある考えているのだが、 それは誤った認識である。 私の経験からいえば、障害に対して耐久性のある部品から組み上げられた FreeBSD サーバーは、 こういった問題に対してすぐれたソリューションを提供することができることを常に立証してきたのである。

ひとつの事例を紹介しよう。

ある、地方のインターネットサービス及び Web サービスのプロバイダーは急速に成長していた。 彼らは適度に顧客を増やし、ほとんど毎日のように新しいビジネスを展開していた。 最近、彼らはネットワークのバンド幅を増加し、もっと良い場所にある大きなオフィスを借りようとしたのだが、 すぐに自分たちのサーバー − 主に負荷のかかり過ぎた三つのマッキントッシュ − ではメモリーとプロセッサーをアップグレードしたとしても追いつかないことに気がついた。 彼らは、自分たちの DNS、Web アクセス、FTP そして電子メールサービスをさばく新しい高性能なサーバーの値段はあまりにも高すぎるであろうと心配していた。 新しいビジネスのチャンスにもかかわらず、彼らには安定した性能を示すことのできる高速な計算機を工面できるほど十分な予算はなかったのである。

そこで彼らが選んだ答え… それは FreeBSD であった!

この会社は、一つの Windows 95 マシンを除けば徹底的にマッキントッシュ専門であった。 彼らはグラフィックデザイン、Web、そして広告紙を自分たちや顧客のためにマッキントッシュコンピューターを用いて作成していた (そして今もそうしている)。 このことから、私はサーバーのプラットフォームを変更することを納得させるのは容易なことではないとわかっていた。 過去、顧客のサイトを古い SunOS や NT、Novell といったネットワークから FreeBSD が管理するものへと変更することは比較的簡単な仕事であった。 多くの場合、顧客が少し異なる香りのする UNIX へ馴染めばよいというだけの問題であったのだ。 他の場合でも、顧客はリモートでネットワーク管理を行なったり、UNIX の専門家をフルタイムで雇ったりしたのである。 つまりどんな場合においても移行は普通は簡単なことであり、パフォーマンスの改善を味わうことも容易にできたのだ。 こういった移行は、常に生産性の向上や運用と更新にかかるコストの削減のためであった。 FreeBSD の Ports コレクションから入手できる数多くのアプリケーションを利用すれば、 既存のネットワークに FreeBSD システムを組み込むことは簡単なのである。

しかし、このマッキントッシュ専門の会社に、ハードウェアのプラットフォームとオペレーティングシステムを一気に変更するよう納得させることは簡単なことではなかった。 この顧客は、文字通り、(遅くはあるが) 信頼できるマッキントッシュサーバーをやめ、 アメリカの計算機業界においてマックの居場所を徐々に侵食していたあるアーキテクチャーに信頼を置く必要があったのである。難しい仕事である。

Daemon

幸運にも、徐々に確立しつつあった FreeBSD の強固な安定性により、この仕事は予想していたよりも簡単であることがわかった: この顧客は、インターネット上におけるビジネスに通じており、 彼らはみんな Yahoo を、自身や顧客の宣伝のためだけでなく、 情報を調査したり探したりするのにも大いに利用していたのである。 彼らが知らなかったのは、Yahoo ではほぼ完全に FreeBSD が用いられているということであった (FreeBSD News Issue #1 参照)。しかも、いったん彼らが ftp.cdrom.com でも FreeBSD が用いられていることを知ってしまえば、移行の決定は確信的なものにさえなったのである。 加えて、その会社の社長は、やはりマッキントッシュのユーザーでありファンでもあるのだが、 オンラインビジネスに FreeBSD を用いることに賛成していた − 彼は BSD UNIX のネットワーキングに関する知識を持っているという背景により、それが速度と信頼性の向上を意味することを理解していたのである。

しかし「第一線」の人々、毎日いや毎時間 Web サイトにアクセスし更新する必要のあるデザイナーや開発者たち、 はどうだったのであろうか? FreeBSD サーバーが彼らの世界をどのように変えるのであろうか? いくつかの本質的な懸念があった。まず第一に、開発者たちと新しいサーバーとのインターフェイスはどのようになるのであろうか? FTP では駄目だ − この方法はぶっきらぼうであり、マックユーザーの性分には合わないものであった。ドラッグアンドドロップ、ダブルクリック、これらがオリジナルな GUI の世界なのである。

ちょうど良いことに、ミシガン大学の Research Systems UNIX Group (RSUG) が Netatalk を開発していた。これはマッキントッシュや AppleShare クライアントソフトウェアに UNIX ファイルシステムへのアクセスを提供するものである。 簡単に言えば、Netatalk は AppleTalk ネットワークのためのファイルとプリントのサーバーであり、FreeBSD では Ports コレクションから入手できるのだ。FreeBSD Port からのソフトウェアのインストールは、通常は tar ファイルを取ってきて (もしくは、既に ports コレクションをインストールしているなら単に正しいディレクトリーに行き)、 「make install」とタイプするだけである。いくつかの設定ファイルに変更を加え、inetd をすぐに立ち上げ直せば、マックユーザーは、また心ゆくまでドラッグアンドドロップを堪能することができるようになるのである。 私は Windows 95 マシンもネットワークに接続することができるように Samba、Andrew Tridgell により作成されたネットワークパッケージ − これもまた FreeBSD port として入手できる − を用いた。

DNS を移行し終えた後、次 −そして最も重要なステップ− は Web サイトの移行であった。 この時、サーバーは 32 MB のメモリーといくつかの SCSI (ディスク) ドライブを備えた Pentium 166MHz のマシンであり、FreeBSD 2.1.7-RELEASE と初期の Apache Web サーバーが動いていた。パフォーマンスの改善は、控えめに言っても感動的なものであり、サイトの全てが移るまでにそう長くはかからなかった。すぐにメールと FTP のサービスが続き、結局一つの FreeBSD サーバーで数台のマッキントッシュサーバーが完全に置き換えられてしまった。

このサーバーの導入により、パフォーマンスの向上に加えてさらに高いレベルのセキュリティが持ち込まれた。私は sendmail にいくつかの処置を施し、スパムやリレイ −過去に彼らを悩ませたもの− を防ぐようにした。また、TCP Wrapper の Port をインストールし、よく知られたサービスへの不正なアクセスや他のいくつかのセキュリティの綻び −全て、あらかじめ設定された FreeBSD サーバーにはつきものだ− を防ぐようにした。

それ以降、私はさらにいくつかのサーバーをインストールし、最初のサーバーは 2.2.6 リリース前の FreeBSD 2.2-stable が動いている Pentium II マシンに入れ換えた。内部ネットワークが速くなることはなかったが、彼らの顧客 − アップグレードが最も意味のある人々 − は、速度の改善とサーバーが落ちている時間が無くなったことでとても幸せになったのである。最近では、我々は動的なサーバーページを扱うために NT サーバーを加えた。これは FreeBSD とかなりうまく共存し、バックエンドの SQL サーバーの動的なコンテンツを共有しているのである。

これは単に一つの事例である。私が自分の顧客に提供したサーバーのソリューションのほとんどは FreeBSD の導入であり、全てすばらしい結果となっている。最近のもう一つのプロジェクトでは、スパムを取り除きリレイを拒否するためにデュアルホームでミラーされた、セキュリティの強化された FreeBSD メールサーバーの設置が必要であった。彼らのファイアーウォールの内側では、さらにいくつかの FreeBSD が内部の POP メールと WAN にまたがったファイルサービスを扱うために用いられている。

しかしながら忘れないように言っておくが、FreeBSD は単にサーバーであるというだけではない。私の目前には FreeBSD X ワークステーションがあり、この記事を書くために MS Word に似たインターフェイスの StarWriter 3 が動いている。私は自分のビジネスの資金やクライアントのリストを FreeBSD 上で動いているデータベースで管理しているのだが、さらに Gimp を用いてグラフィックデザインを行なったり、JDK 1.1.5 の Port により Java を使うことさえできるのである。

まとめよう。私は自身のビジネスに毎日使ってはいるのだが、ハードウェアとコンサルティングのビジネスにおいて FreeBSD は顧客たちに大いなる衝撃を与えてきた。私は、彼らが要求する性能と信頼性を保証する確かなサーバーとワークステーションを提供することができるのである。そして、FreeBSD はフリーであるため、私は顧客にそれをコスト削減として還元することができるのである。